生きよう!NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見て

トピックス 19年06月05日 16時00分
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6月2日放送のNスペ「彼女は安楽死を選んだ」

特に旅立つシーンは、僕にとって

「擬似的な自殺体験」

でした。

まさに今、まぶたが閉じるその瞬間、泣きながら漏れた言葉は


「え〜、死なないで〜〜〜」

死を選んだ彼女やその家族に向けた言葉ではないんですよ。彼女の苦しみも家族の悲しさも代わってあげられない。


なんていうか、自分自身についてというか。


死にたいとよぎることは多くありますが、今回の「擬似的な自殺」を体験して、僕は「生」の部分がまさったというか。

こち亀の両さん風に言うなら、

「生きるモードに切り替えて、どう生きるか悩む」

という。


そして、彼女と同じような体の自由が刻々と失われる状況の人が、「生きる」を選択したときに、とても明るく感じたんですよね。

「おお!一緒に生きようぜ!!俺ができることはなんでもするから!わーい!」

って言っちゃう感じ。分かります?


よく、

「グラデーション」とか「スペクトラム」とか言いますけど、

しかし、どこかで、


「1が0に変わる瞬間」
「白が黒に変わる瞬間」


というのは、あるんですよ、間違いなく。

社会が成熟して、処々の問題がどんどん解決していくに連れて、そのはざまで揺れる人たちが表面化してきた。

向き合わなくちゃいけない時代なんですよね。成熟した社会の裏表といいますか。


スイスへと向かった彼女の猶予は2日間。


その間に安楽死をするかしないか、決断しなければならない。

「スイスに来ることなく安楽死の選択ができていたら、彼女は決断を先送りできたかもしれない」

そういう類のことを、スイスの先生が言ってたのが印象的です。

日本で安楽死を認めることは、翻って時間的な余裕が生まれるという一面。

国をあげて死ぬ権利を議論する前に、実は、まだまだ

・やってないこと
・見て見ぬふりしていること
・のらりくらりとやってるふりだけしていること

そんなことが山ほどあるんじゃないのかな、って思った次第です。

覚悟を決めて

えいや!

と取り組むときが来たような気がしませんか?


(たねの)